大徳寺エリア

今宮神社の歴史・見どころ。お玉にあやかって玉の輿を願う女性は必見

投稿日:2019年5月27日 更新日:

京都にある今宮神社は、女性から人気を集めている神社です。

実はこの神社、江戸幕府三代将軍・徳川家光の側室となり、五代将軍・綱吉を産んだ「お玉」ゆかりの神社なんです。

八百屋の娘であったお玉がなぜ「玉の輿」にのることができたのでしょうか?

今回は今宮神社を散策して、お玉の玉の輿伝説を調べてみたいと思います!

 

今宮神社ってどんな神社なの?

今宮神社は京都市北区にある神社です。

近くには大徳寺があり、あわせて散策するのがおすすめですよ~♪

最寄り駅は地下鉄「北大路」駅ですが、バスを利用しました。

 

今宮神社はお玉ゆかりの神社ということで「玉の輿神社」とも呼ばれています。

なんともいい響きの神社ですね~♪

婚活女性にとっては欠かせないパワースポットですよ!

 

今宮神社の祭神は?

大己貴命(おおなむちのみこと)

事代主命(ことしろぬしのみこと)

奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)

 

今宮神社の歴史は?

今宮神社が現在建っている場所には、平安遷都以前から疫神・疫神スサノオを祀る社があったと伝わっています。

平安京に都が移された後も、疫病や災厄はよく起こりました。

そのため、神泉苑・上御霊神社・下御霊神社・八坂神社などでは疫病を鎮める目的で御霊会がおこなわれています。

医療が発展している現代と違い、当時は風邪でも命を落としかねません。

当時の人々は本当に必死の思いでお祈りしたことでしょう。

 

994年(正暦5年)にも京都で大規模な疫病が流行りました。

そのため朝廷は神輿(みこし)を2基つくり、船岡山に安置します。

そして音楽奉納などをした後、疫災を幣帛(へいはく・神前の供物)に移させて難波江へと流したのです。

この「紫野御霊会」は民衆主導でおこなわれ、今宮祭の起源といわれています。

 

また、1001年(長保3年)にも疫病が人々を苦しめました。

朝廷は船岡山から疫病を移すことにします。

そして、疫病を祀った社に「今宮社」と名付け、神殿・玉垣・神輿をつくったのです。

今宮社では疫病が流行するたびに「紫野御霊会」がおこなわれ、いつしかそれは定着し、毎年5月に実施されるようになりました。

 

この時代、疫病は頻繁に流行していたことがわかりますね。

藁をもすがる気持ちで人々は祈祷したのだと思います。

 

今宮神社は創祀以来、朝廷・武家・民衆から崇敬されていて、1284年(弘安7年)には「正一位」の神階が与えられています。

しかし、応仁・文明の乱(1467~1478年)で焼失。

1593年(文禄2年)、豊臣秀吉によって今宮社の御旅所が再興、神輿1基が寄進されました。

御旅所とは、神社の祭礼で神様が巡行の途中で休憩・宿泊する場所のことだよ

 

1795年(寛政7年)、機業者を中心とした西陣の強力な経済力をバックに、「能舞台」ができ、秋には公演がおこなわれました。

しかし織物産業は次第に衰退していき、それに伴い1970年代の公演を最後に途絶えてしまうのです。

 

今宮神社の有名なお祭り

やすらい祭(夜須礼祭)

毎年4月第2日曜日におこなわれる祭です。

京都の三大奇祭の一つとして有名で、「やすらい花」として国の重要無形民俗文化財も指定されています。

今宮祭と同じで「御霊会」を起源とした農村部のお祭りです。

 

今宮祭

毎年5月に行われるお祀りです。

5/1 神輿出し

5/5 神幸祭(しんこうさい)

5/15付近の日曜日 還幸祭(かんこうさい)

5/19 神輿おさめ

この順番にお祭りが進みます。

 

また、2014年(平成26年)からお祭りの開催にあわせて「能舞台フェスタ」が御旅所の能舞台でおこなわれています。

 

例祭(例大祭)

毎年10月8日・9日に行われます。

 

阿呆賢さん

境内には「阿呆賢(あほかし)さん」と呼ばれている石がありました。

「神占石」とも呼ばれている霊石で、てのひらで撫でてから石を持ち上げます

そのとき石が軽く感じたら願いが叶うそうですよ!

私も叶えたい願い事を心の中で思い浮かべながら持ち上げてみました。

結果…石はとても重たかったです。

残念ながら願いごとはしばらく叶いそうにもありません(^^;

 

名物のあぶり餅

今宮神社に参拝したら、忘れてはいけないのが「あぶり餅」を食べることです!

「あぶり餅」は祭りで使った竹や供え餅を、参拝客に「厄除け」として配ったことが始まりです。

東門の門前に、2軒のお店が建っています。

私も今宮神社を参拝するときには必ず立ち寄っています。

どちらのお店も美味しいので、順番にまわることにしています。

 

今回は「かざりや」さんであぶり餅をいただきました。

お砂糖と白みそのタレが香ばしく焼かれたお餅にからまって美味しかった~♪

これで私の厄も落ちたらうれしいです。

 

お玉の「玉の輿」伝説

さてさて、本題の玉の輿伝説について調べてみたいと思います!

 

お玉は京都・西陣にある八百屋の娘さんでした。

とても活発な女の子だったそうです。

しかしある日突然、父が亡くなってしまいました。

 

お玉は父が野菜を納めていた武士・本庄家の養女となるのです。

突然親が亡くなり、違う家の養女となるなんて…お玉も大変な思いをして育ったのですね。

 

武士の養女となったお玉は、公家出身の尼僧のもとへ侍女として奉公することに。

その尼僧が、後に江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室となる「お万の方」だったのです。

これぞまさに運命的な出会い!

 

1639年(寛永16年)、尼僧は将軍家に挨拶をするため、江戸城を訪問します。

もちろんお玉も尼僧のお供をしてついていきました。

しかし、ここで大変な事件が起こってしまうのです!

なんと、三大将軍・徳川家光は尼僧に一目惚れ!

そのまま尼僧は江戸に残って家光の側室となり、「お万の方」と名乗ることになります。

そのためお玉も一緒に大奥で暮らすことに。

その後、お万の方は春日局の跡を継ぎ、大奥を取り締まる支配者となりました。

尼僧だった人が大奥のトップに立つなんて、人生何が起こるかわかりませんね。

 

「あれ?尼僧なのに側室になれるの?」

ちょっと疑問に思ったのでこちらも調べてみました。

実はこの尼僧が住職をつとめていたお寺は伊勢にある慶光院というとても格式の高いお寺なんです。

このお寺では公家のお姫様が剃髪して修行をし、住職をつとめることが決められていました。

なので、お玉が奉公した尼僧は自分の希望で尼僧になったわけではないんです。

というわけで、ちょっと特殊な事情の尼僧だったので問題なし!ということがわかりました♪

 

そして、お玉が成人すると家光に好意を寄せられ、側室になりました。

家光、お万の方だけでは物足りなかったのでしょうか…。

お万の方の侍女だったお玉が側室になるなんて、お玉はとても魅力的で素敵な女性だったのでしょうね。

お玉はやがて家光の子供を産みます

この子が徳川5代将軍・綱吉となるのです。

八百屋の娘だったお玉が将軍の子供を産むなんて、すごい「玉の輿」ですよね!

 

だけどこれだけでは終わらないのがお玉のすごいところです。

この時、綱吉より前に生まれた男の子が二人いました。

そのため綱吉が将軍となる可能性はとても低かったのです。

ですがお玉は綱吉が将軍となることをあきらめませんでした

いつの日か綱吉が将軍となることを夢見て、熱心に教育したのです。

う~ん、お玉の「もっともっと玉の輿になりたい!」という気持ちを感じることができるエピソードですね。

私だったら現状で満足してしまいそうですが。

 

1651年6月8日(慶安4年4月20日)、家光が亡くなりました。

家光の跡は長男の家綱が継ぎます。

そしてお玉は出家して「桂昌院」となりました。

 

お玉は出家した後も、綱吉が将軍となることを諦めませんでした。

ここまでくると、お玉の執念を感じますね。

 

そんなお玉にある報せが届きました。

1680年6月4日(延宝8年5月8日)、4代将軍・家綱が亡くなったのです。

 

家綱には子供がなく、家光の次男も他界していません。

つまり、綱吉が将軍を継ぐことが決まったのです。

綱吉は5代将軍となり、お玉は晴れて将軍を産んだ母」となりました。

かつて八百屋の娘であったお玉が将軍の母になるなんて、まるで夢物語のようですね。

お玉が「玉の輿」の語源になったのも、なんだかわかるような気がします。

 

お玉が将軍の母となったことで、養女となった実家・本庄家も大出世しました。

下級武士であった本庄家は美濃因幡の大名となり、徳川家ゆかりの「松平」という姓までいただいた者もいたとか。

きっとお玉には感謝しかなかったことでしょう。

足を向けて寝れませんね♪

 

東京・文京区にはお玉が建てた「護国寺」というお寺があります。

元々信心深かったお玉ですが、綱吉が将軍になってからも京都の神社仏閣の修復・復興に尽力したのです。

特に「今宮社」に対する崇敬と、故郷・西陣への愛嬌の念が強かったようで、

・御牛車、鉾の寄進

・祭事の整備

・「やすらい祭」の復興

などいろいろな施策をおこないました。

 

「もろともに 光をてらせ五地の寺 君があゆみを よろづ世までと」

全てのお寺よ、光を照らしていてください。

私の息子・綱吉の世の中がずっと続くように。

 

お玉はこんな願いを込めて歌を残しています。

息子の幸せを祈る母の想いはいつの時代でも同じなのですね。

 

まとめ

今宮神社はお玉にあやかって「玉の輿」を願う若い女性がたくさん訪れていました。

八百屋の娘から将軍の母にまで上り詰めたお玉ですから、参拝するとパワーをもらった気分になれますよ。

もちろん毎日の努力も必要不可欠ですが、お玉は幸運に恵まれていたのでしょう。

今宮神社に参拝をして終わりではなく、お玉のようにチャンスが来たときに確実につかみとれるよう、日々努力をしたいですね

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
京都のナビゲーター

京都のナビゲーター

日本史・京都を愛してやまない30代主婦。 年に数回は京都へ足を運んで情報収集しています。 京都の魅力をわかりやすくお話したいです。 少しでもあなたの京都旅行のお手伝いができますように。

-大徳寺エリア

Copyright© 京都を知れば歴史がわかる! , 2019 All Rights Reserved.