六波羅蜜寺

東山エリア

六波羅蜜寺の見どころ・歴史は?空也上人像・平清盛坐像が見逃せない

投稿日:2019年2月18日 更新日:

京都、東山にある六波羅蜜寺。

平清盛ゆかりの地ということで、清盛大好き歴女の私はよく訪れているスポットです。

あたりは清水寺・八坂神社など数多くの観光スポットが近くにあるにもかかわらず、静かな住宅街に建っているお寺です。

実はここ、六波羅蜜寺のある「六波羅」は平安時代~鎌倉時代の日本史においてとても重要な場所だったんですよ!

それではさっそく六波羅蜜寺へレッツゴー!

 

六波羅蜜寺の名前の由来は?

六波羅蜜寺の門

六波羅蜜寺は「六波羅」にあるお寺ということで名付けられたそうです。

なんだそのまんまじゃん!と感じたのは置いておいて…

「六波羅」という名前ですが、ちょっと変わった、日本離れした名前ですよね。

かつて六波羅の周辺は京都の葬儀場であった鳥辺野の入口で、「あの世とこの世の境」と人々からは言われていました。

そのため六波羅周辺には数多くのお寺があり、古くから人々の信仰を集めていたんですよ。

現在では普通の住宅街となっているので、「あの世とこの世の境」と言われてもピンとこないのが正直なところです(^^;

 

六波羅蜜寺はどんなご利益があるの?

  • 縁結び
  • 家内安全
  • 心願成就
  • 金運向上

いろいろなジャンルのご利益があります。

老若男女問わず人気の理由はここにあるのかもしれませんね。

 

六波羅蜜寺の歴史は?

境内を散策する前に、六波羅蜜寺の歴史を振り返ってみましょう。

立札

六波羅蜜寺は951年(天暦5年)、空也(くうや)によって建てられました。

この頃、お寺は「西光寺」という名前でした。

空也の生涯は不明点も多いですが、一説では醍醐天皇の第二皇子ともいわれています。

天皇の皇子だなんてとても身分の高い方だったにもかかわらず、空也は素晴らしい行いを町の人々にしていたようです。

 

この頃京都は疫病が大流行していました。

空也は疫病を退散させるために観音像を車に乗せ、念仏を唱えながら町中を歩き、疫病にかかった人々にお茶をふるまったそうです。

そのお茶というのは、青竹を薄く割いたものを茶筅の代わりにして立てたとか。

お茶の中には「小さな梅干し」「結ばれた昆布」が入っていて、現代でも正月三が日には「皇福茶(おうぶくちゃ)」として参拝者が飲む習慣があります。

1000年以上も前のお茶を現代でも飲めるなんてすばらしいですね♪

私はこのお茶を飲んだことがないので、機会があったらぜひ飲んでみたいと思っています。

 

空也の死後、977年に比叡山の僧・中信によって復興され「六波羅蜜寺」と名前を変えます。

 

「六波羅蜜」は、悟りを開くために必要な六つの修行のことをいうよ。六つの修行とは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧だよ!

 

平安時代末期には、清盛のお父さん・平忠盛が平家の拠点である「六波羅館」を建てます。

これをきっかけに、この付近は次々と平家一族のお屋敷ができたのです

そのため清盛は「六波羅殿」とも呼ばれていたんですよ。

最盛期には5200ものお屋敷ができたというから、六波羅がとても栄えていたことがうかがえますね。

そもそもなんで六波羅を拠点にしたのかというのも、平家はもともと伊勢(現在の三重県)を拠点にしていた一族だからです。

六波羅は伊勢からの街道に近いエリアなので、拠点に選んだのも納得ですね。

 

しかし保元の乱・平治の乱を経て、平家は衰退していきます。

やはり平清盛というカリスマ的存在が亡くなったことが大きく影響しているのでは、と私は思っています。

平家はあまりにも大きくなりすぎて、統制する存在がいないとまとまらなかったのではないでしょうか。

源氏との戦いの中、1183年(寿永2年)には六波羅密寺は本堂以外焼失してしまうのです。

 

時代が変わり鎌倉時代になると、鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれました。

六波羅探題とは、北条氏が京都を警備・監視するために置いた機関のことです。

六波羅密寺は時代の中心地として大切な役割を果たしていた場所なんですね。

その後、足利尊氏によって鎌倉幕府が滅亡する際には六波羅探題も攻められ、なくなってしまいます。

 

 

その後も六波羅探題は何度も火災に遭っています。

豊臣秀吉が京都に大仏をつくったとき、方広寺の余った材料で六波羅探題の本堂を修復したそうです。

 

明治時代になると、廃仏毀釈により六波羅蜜寺の領地はかなり減らされてしまいます。

 

嵯峨にある愛宕念仏寺は、かつては六波羅蜜寺の領地にあったんだよ

 

1969年(昭和44年)には六波羅蜜寺開創1000年を記念して、本堂の解体修理がおこなわれました。

これにより、創建当時のような極彩色の美しい色合いがよみがえったのです。

 

六波羅蜜寺の見どころは?

本堂

六波羅蜜寺

南北朝時代、1363年(貞治2年)に再建された本堂は、重要文化財に指定されています。

何度も修繕はおこなわれていますが、応仁の乱以前の建物が残っているというのはとても貴重なんですよ。

極彩色の建物は色鮮やかで、遠くからでも目立ちますね。

本堂の中は、

外陣…参拝者が本尊を拝む場所

内陣…仏像やご本尊が置かれている場所

に分かれています。

外陣と内陣の境目は内柱・跳ね上げ式の扉で区切られていますが、内陣の方が少し低めに作られているのがわかります。

これは天台宗のお寺の特徴だそうです。

(現在では六波羅蜜寺は真言宗ですが、創建当時は天台宗でした)

 

内陣には3つの厨子があり、中には仏像があります。

このうちの1つが空也が作ったとされる十一面観音像です。

普段は見ることができませんが、年に1度ある辰年のご開帳の時にだけ見ることができます。

十一面観音像には「縁結び」「夫婦円満」のご利益があるとされています。

 

空也上人像

六波羅蜜寺といえば「空也上人像」は見逃せません。

空也上人像は鎌倉時代を代表する仏師・運慶の四男の康勝がつくったものです。

像の口から出ているものは「阿弥陀仏」で、空也が疫病を退散させるさいに念仏を唱えるとそれが阿弥陀仏になったという伝説に由来するとか。

口から仏様が出ているというかなりインパクトのあるお姿は、学生時代に教科書で一度は見たことがあるのではないでしょうか?

よく見ると表情も細かく表現されていて、その芸術性の高さに感心してしまいます。

 

平清盛坐像

清盛座像

空也上人像と同じくらい見逃せないのが「平清盛坐像」です。

こちらも教科書などでよく目にするのではないでしょうか。

実物の写真は撮ることができないので、外に貼ってあったポスターを撮影しました。

 

この像は平家一族が「武人としての命運が長く続くよう」に祈願するために作られました。

この清盛像は、清盛が太政大臣になると同時に仏門に入っていた頃の清盛の姿です。

髪を剃って、ゆったりとした着物を着ている清盛の表情は気品があり、穏やかさを感じますね。

平家物語などでは清盛の傲慢で非情な性格が語られていますが、そんなところを感じないから不思議です。

もしかしてこちらが本来の清盛の姿なのかもしれませんね。

 

歴史書物には、清盛は「悪役」として描かれていることが多いです。

そのため、ネガティブなキーワードばかりが上がってしまいますが、私はそうは思えないんです。

確かに清盛は暴走をすることもありますが、日宋貿易の拡大などすばらしい政策もおこなっています。

また、源頼朝を殺さなかったり、優しい一面ももっています。

 

よく言われている「平氏にあらずんば人にあらず」というセリフも、清盛が言ったのではありません。

(このセリフは平時忠が言ったものなんです)

平家物語は平家が滅亡してから書かれた作品だから、清盛が悪役に描かれているのかもしれないね

 

弁財天堂

六波羅蜜寺の入口近くには弁財天堂があります。

弁財天をお祀りしていて、この弁財天は「六波羅弁財天」と呼ばれています。

鎌倉時代には幕府の歴代将軍も参拝に来ていたとか。

こちらは「都七福神」の一つで、私が訪れたときにも参拝者でにぎわっていました。

 

七福神めぐりは京都発祥で、七福神めぐりは室町時代頃からあったんだよ

 

弁財天は七福神の中で唯一の女性の神様で、「知恵の神様」として信仰を集めています。

また、水をつかさどる神様であることから、「別れの悲しみ」「辛くて悲しいこと」などを水に流してくださるという言い伝えもあります。

私も実際に参拝してみて、少し気持ちが軽くなったような気がしました。

 

 

まとめ

平安時代~鎌倉時代、歴史の中心となった六波羅蜜寺。

当時よりお寺の規模は小さくなったものの、長い歴史の重みを感じる場所でした。

1000年前、ここで平清盛が過ごしていたと考えるだけで歴女の私は胸がドキドキしてしまいます。

学生時代に教科書の中で見ていた空也上人像や平清盛坐像の実物を見ると感動しますよ!

 

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日本史・京都を愛してやまない30代主婦。 年に数回は京都へ足を運んで情報収集しています。 京都の魅力をわかりやすくお話したいです。 少しでもあなたの京都旅行のお手伝いができますように。

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