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隋心院の歴史・見どころは?インスタ映え間違いなし!のモダンな襖絵

投稿日:2019年5月24日 更新日:

世界三大美女の一人、小野小町

美人の基準は昔と現代では違う!と聞いたことがありますが、どんな人物だったのか気になります♪

その小野小町ゆかりのお寺が京都「隋心院」にあるということで…

今回は「隋心院」を訪れてみたいと思います!

境内には小野小町に関係する遺構や、美しい襖絵紅葉の見事な庭園など見どころも盛りだくさん!

行く前からワクワクしてしまいます♪

それでは「隋心院」へレッツゴー!

 

隋心院ってどんなお寺なの?

「隋心院」は地下鉄東西線「小野駅」から歩いて5分くらいの場所にありました。

道もわかりやすく、迷うことなくお寺に到着です!

今回訪れたのは日曜日だったのですか、境内ではフリーマーケットのようなイベントをやっていました。

手作りのクッキーやアクセサリーなど、女心をくすぐる商品がありましたよ!

 

 

随心院(ずいしんいん)は京都市山科区にある真言宗善通寺派大本山のお寺です。

小野流の開祖として有名な仁海(にんがい)がお寺を創設。

本尊は如意輪観音で、寺紋は「九条藤」となっています。

随心院のある小野エリアはかつて小野氏の根拠地でした。

そのため随心院は小野小町ゆかりのお寺となっています。

 

実は小野小町ゆかりの場所、というのは京都だけはなく日本各地にあります。

1000年以上も前の人物なので、ハッキリしたことがわからない…といったところでしょうか?

でもここ「随心院」は小野小町ゆかりの遺構もあることですし、きっと本物なんだ!と信じながら散策したいと思います。

 

隋心院の歴史は?

お寺の中に入る前に、ちょっと歴史を振り返ってみましょう。

随心院はかつて仁海が創建した牛皮山曼荼羅寺(ぎゅうひさん まんだらじ)というお寺の塔頭でした。

仁海は神泉苑で雨乞いの祈祷を9回行って、毎回雨を降らせたことから「雨僧正」という通称があったとか。

昔は水不足に悩むと、このように祈祷をおこなっていたんですね~。

でも祈祷して本当に雨が降るなら、それはすごい事ですね!

 

曼荼羅寺は一条天皇から小野氏邸宅の隣の土地を寺地としていただき、991年(正暦2年)に建てられました。

お寺の名前の由来は、このような伝説が残っています。

仁海は夢の中で、亡くなった母親が生まれ変わって「牛」になっていることを知り、その牛を飼育したものの亡くなってしまいます。

その事を悲しんだ仁海は深く悲しみ、その牛の皮に「両界曼荼羅」を描いて本尊としたことにちなみ、「牛皮山曼荼羅寺」と名前がつけられました。

また、これと似た話が「故事談」にもありますが、牛になったのは仁海の母ではなく父と記されています。

現代でも「輪廻転生」という考え方はありますが、この時代は特にその思想は根深かったんですね。

それにしても、夢で親の生まれ変わりを知るなんて…仁海という人物、ただものじゃありません!

 

第5世住持・増俊のときに随心院は曼荼羅寺の塔頭として建てられました。

これが随心院のはじまりだったんですね~。

そして6世住持・顕厳のときに順徳天皇・後堀河天皇・市場天皇の祈願所になります。

7世住持・親厳は東寺の長者や東大寺の別当を務めた人物で、彼の時代に後堀河天皇の命で門跡寺院になりました。

門跡寺院は、皇族や摂家出身者が住持をつとめるお寺のことだよ

 

門跡寺院となったということは後ろには大きなバックがあり、お寺は栄えた…ということがわかりますね♪

その後多くの伽藍が建てられましたが、残念ながら応仁の乱でほとんどを焼失しました。

京都は応仁の乱の影響を受けている場所が多いのですが、隨心院もその中の1つだったんですね!

「隨心院史略」には、応仁の乱の後、九条唐橋や相国寺近辺などへ移転を繰り返していることが記されています。

家の引越しだけでも大変なのに、お寺の引越しだなんてとても労力を使ったことでしょう…。

 

1599年(慶長4年)、24世住持・増孝の時代に曼陀羅寺のあった場所に本堂が再興されました。

つまり、現在の場所にやっとこさ落ちついた!というわけですね。

真言宗の各派は明治時代以降、対立・分派・合同を繰り返しています。

御室派・醍醐派・大覚寺派などが分立した後でも、随心院は「真言宗」のままでした。

しかし1907年(明治40年)に当時の「真言宗」が解消、山科派・小野派・東寺派・泉涌寺派として独立することに。

そのため、随心院は「小野派」の総本山になります。

1931年(昭和6年)、真言宗小野派は「真言宗善通寺派」と名前を変えました。

現在は、宗祖・空海の生誕地にある善通寺が善通寺派総本山、随心院は同派大本山となっています。

 

私には宗派の詳しいことはまったくわかりませんが…お寺も生き残るためにいばらの道をくぐりぬけてきたんですね。

 

1973年(昭和48年)、途絶えていた「はねず踊り」が復活。

私は見たことがないので、ぜひ予定を合わせて参加してみたいイベントの一つです。

 

2003年(平成15年)に「ミス小町コンテスト」、2008年(平成20年)にライトアップなど新しい取り組みにも力を入れています。

2017年(平成29年)7月から、第12代ミス小野小町・吉川舞さんがデザインした「小町ちゃん」が公式キャラクターとして登場、人気を集めています。

このようなイベントはお寺にはふさわしくない!という意見もあるかもしれませんが、私は素晴らしい取り組みだな~と思います。

お寺も生き残るためにいろいろ試行錯誤されていると思います。

そんな中で、若い人たちがお寺に興味を持ってくれるキッカケにもなるのではないでしょうか。

 

随心院の見どころは?

それではさっそく中を見ていきましょう!

総門

1753年に公卿・二条家から移築されました。

瓦葺の重厚な造りが特徴で、2つの脇門があります。

 

薬医門

薬医門は化粧井戸の近くにある門です。

江戸時代初期、寛永年間に尼僧・天真院尼(てんしんいんに)によって建てられました。

 

表玄関

薬医門をくぐると表玄関があります。

表玄関は身分の高い者がお寺を来たときにだけ使われました

そのため、現在においても通常は使用されることがありません。

玄関を入るとすぐに「小町榧(こまちかや)」と呼ばれているカヤノキの切り株があります。

狩野派によって杉戸に描かれているのは花鳥図です。

 

庫裡

1753年(宝暦3年)に二条家より移築したものです。

二条家では政所御殿として利用されていました。

鈍色(にびいろ)の瓦・白い壁の組み合わせがとても目を引きます。

京都ではよく「〇〇から移築した」という建物を目にしますが、車のない時代、とても大変な作業だったと思います。

小野小町の碑

入口近くには小野小町が読んだ歌の碑がありました。

この歌は百人一首でも有名ですね。

近くにはかわいらしい絵馬もあり、一気にテンションがあがります!

 

本堂

安土桃山時代の1599年に再建された、寝殿造の建物です。

内部には本尊・如意輪観音(にょいりんかんのん)が安置。

 

本堂からは苔に覆われた庭園を眺めることができました。

苔が見事なことから随心院は「洛巽(らくそん)の苔寺」と呼ばれていたんですよ。

若草色の苔が一面にひろがり、癒しの空間にいるような気分になってきました♪

私はここの縁側に座ってお庭を眺めるのが大好きです。

特に雨の日は水分を含んだ葉っぱや苔が輝きを増して、素晴らしい光景を楽しめるんです。

 

新緑の美しい初夏も素敵ですが、紅葉の美しさはまた別格なんです!

こちらは秋の隨心院です。

まるで1枚の絵画を見ているような気分になってしまいました。

息をのむ、というのはまさにこのことだ!と感じた景色です。

 

永観堂などの紅葉スポットに比べると人も少なかったのがよかったです。

ゆっくりと紅葉を楽しみたい方にはおすすめですよ~。

京都というと有名なスポットに行きがちですが、確実に穴場スポットはある!ということを忘れてはいけませんね♪

 

表書院

表門の奥にある建物で、狩野派によって描かれた襖絵・四季花鳥図などがあります。

華やかな襖絵は随心院が門跡寺院として栄えたことを感じることができました。

 

能の間

表書院の奥にある部屋が「能の間」です。

宝暦年間(1753年~1764年)、九条家の寄進によって建てられました。

1991年(平成3年)、改修工事が行われています。

そのとき、「だるま商店」という現代アート作家によって「極彩色梅匂小町絵図」という鮮やかな襖絵が描かれました。

 

私はこの襖絵が大好きで、この襖絵を見たいがために何度も隨心院を訪れています。

お寺にはちょっと派手すぎる?という意見もあるかもしれませんが、不思議な魅力がある襖絵だと思います。

隨心院は参拝客も少ないので、襖絵の前に座ってゆっくりと眺めました。

インスタ映えする襖絵は特に若い女性に人気です。

私もFacebookに載せたら、友達から絶賛されました!

受付にはお土産コーナーがあったのですが、そこにこの襖絵の縮小版が販売してあり、買うかどうか迷いました。

ちょっとお値段が高かったので断念しましたが、次回の参拝時には買ってしまうかもしれません(^^;

 

小町庭苑

竹林の中には文塚・小町榧・仁海供養塔・清瀧権現があります。

せっかく隨心院に来たのですから、欠かさずにチェックしたいと思います。

 

小町文塚

小町文塚には小野小町が男性からもらった恋文を埋めた塚です。

この塚をお詣りすると恋愛成就・文章上達などのご利益があるとか。

これは婚活中の女性たちにとって欠かせないスポットですね!

男性にモテモテだった小野小町にあやかって、魅力的な女性になりましょう♪

 

小町榧(こまちかや)

小町榧は、随心院の親寺・曼荼羅寺を建てた仁海の供養塔の後ろにあります。

実はこの榧、小町の悲恋伝説に関係したものなんです。

小野小町の元に百夜通い続けた深草の少将が、自分が通った証拠に榧の種を置いていったそうです。

その種が発芽して育ったのが「小町榧」で、現在ある木は三代目となっています。

深草の少将は九十九夜通ったのですが、雪の降る日で、雪に埋まり凍死したという悲しい結果に終わりました。

私もそんな深草の少将に思いを馳せながら小町榧を見ました。

 

清瀧権現(きよたきごんげん)

清瀧権現は随心院の鎮守社となっています。

龍の女神を祀っていて、丹塗りの社はコンパクトな作りとなっています。

随心院を守ってくださる龍の女神様にもきちんとおまいりしました♪

 

小野梅園

随心院の境内には約230本の梅の木が植えてあります。

梅の種類は山紅梅、白梅、薄紅梅など。

これだけ本数があると満開のときは絶景がひろがっているでしょうね♪

随心院の梅は毎年2月末に咲き始め、3月中旬が見頃です。

一番沢山ある薄紅梅の色を「はねずいろ」というため、「はねずの梅」と呼ばれています。

私は残念ながら梅の季節に訪れたことがないので、ぜひ訪れて梅鑑賞をしたいと思っています。

 

化粧井戸

元々は小野氏の邸宅にあった井戸です。

小野小町が晩年ここに住んでいたとき、この井戸の水でお化粧をしていたと伝わっています。

残念ながら現在は井戸に水はなく、石組みのみとなっています。

水が流れていないせいか、「これが本当に井戸?」と思うような印象を受けました。

足元もちょっと悪いように思えたので、着物でこの井戸を利用するのはちょっと大変だったかもしれません。

 

まとめ

随心院は東西線の小野駅が最寄ですので、気軽に訪れることができるスポットでした。

境内のあちこちに小野小町を感じることができ、参拝後は女子力があがったような気分に♪(あくまで気分だけ、ですが)

参拝客も少ないので、好きなだけ襖絵や庭園を眺めていることができたのがよかったです。

 

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京都のナビゲーター

京都のナビゲーター

日本史・京都を愛してやまない30代主婦。 年に数回は京都へ足を運んで情報収集しています。 京都の魅力をわかりやすくお話したいです。 少しでもあなたの京都旅行のお手伝いができますように。

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