京田辺エリア

酬恩庵一休寺の歴史・見どころは?紅葉も新緑も美しい庭園が絶景!

投稿日:2019年5月22日 更新日:

「一休さん」といえば子供から大人まで知っている、人気者ですね。

私も小さい頃、レンタルビデオで借りて「一休さん」のアニメを見た記憶が残っています。

そんな一休さんのお寺が京都の京田辺市にあるということで、今回は訪れてみることにしました。

このお寺ですが…

「そうだ 京都、行こう。」2018年秋でピックアップされたことから、ご存知の方も多いのではないでしょうか?

今回はそんな一休さんのお寺「酬恩庵 一休寺」をレポートしたいと思います!

 

酬恩庵 一休寺ってどんなお寺なの?

最寄り駅は近鉄の「新田辺駅」。

京都駅から急行に乗ったので30分程で到着しました。

駅前からタクシーに乗って、7,8分位でお寺につきます。

 

酬恩庵(しゅうおんあん)は京都の京田辺市にある臨済宗大徳寺派のお寺です。

山号は霊瑞山で、ご本尊は釈迦如来となっています。

「一休寺(いっきゅうじ)」「薪(たきぎ)の一休寺」と呼ばれることもあります。

枯山水の庭園や一休寺納豆でも有名ということで、ワクワクしながら中へと入っていきます。

 

酬恩庵 一休寺の歴史は?

酬恩庵は正応年間(1288~1293年)に、南浦紹明(なんぽしょうみょう)という臨済宗の僧侶が開いた妙勝寺が前身です。

毎回思うのですが、僧侶の名前は漢字が複雑だったりして覚えにくい方が多いですよね…。

 

元弘年間(1331~1334年)には戦争による火災で衰退しましたが、1456年(康正2年)に一休宗純が草庵をたてて再興しました。

ここで一休さんの登場です!テンションあがる!!

「宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる」という意味を込めて「酬恩庵」と名づけます。

一休は1481年12月12日(文明13年11月21日)に88歳で亡くなるまで、ここ酬恩庵で過ごしました。

臨終の際には「死にとうない」と言葉を漏らしたという伝説も残っているんですよ。

きっとまだまだやり残したことがいっぱいあったんでしょうね。

私も死ぬときには悔いが残っていない人生でありたいな、なんて考えつつ石段をのぼっていきました。

 

 

酬恩庵 一休寺の見どころは?

総門

総門は禅宗寺院での「表門」のことをさします。

総門の前には金春禅竹の屋敷跡があったそうで、「薪能金春の芝跡」という碑がありました。

 

参道

総門をくぐると目の前には石畳の参道がひろがっています。

両側にはが植えられ、紅葉の季節には見事な光景を私たちに見せてくれるとか。

私はまだ秋に訪れたことがないので、これは次回のお楽しみにとっておきたいと思います。

 

足元にしきつめられている苔が美しく、目にとても優しいです。

桜・つつじ・さつき・沙羅・萩・楓など季節によっていろいろな景色を楽しむことができるそうなので、何度訪れても飽きませんね!

今回訪れたときにはうぐいすの鳴き声が聞こえ、都会の喧騒をすっかりと忘れ癒しの時間を過ごすことができました。

 

一休和尚碑

一休が筆をとった「諸悪莫作、衆善奉行」という言葉が記されていました。

うーん、さすが一休さん達筆ですね!

字の心得がない私には解説がないと読めません(^^;

 

つまり「悪いことはするな、よいことをせよ」という意味です。

はい、もっともですね…。

 

方丈・玄関

加賀藩の藩主・前田利常の寄進によって1650年(慶安3年)に再建されました。

内部にある襖絵は江戸初期に活躍した画家・狩野探幽による作品です。

 

おすすめ!

 

ここでは抹茶と和菓子をいただくことができるということで、さっそく注文しました。

受付で代金を支払って用意してもらいます。

受付の近くにお部屋があり、そこで待つように言われました。

しばらく待っているとお抹茶とお菓子が…♪

私がいただいたお菓子は、一休寺納豆が入っているという珍しいお菓子でした。

ほんのりしょっぱい納豆と落雁の甘さが絶妙です!

 

ちなみに受付には「一休寺納豆」も販売していました。

納豆といっても、私たちが普段食べているねばねばした納豆ではないんです。

乾燥しているので、非常食にもよさそうな感じがしますよね。

ちょっと変わったお土産にいいのではないでしょうか?

 

木造 一休和尚坐像

一休和尚坐像は方丈の仏間に安置されています。

一休が亡くなった1481年(文明13年)に一休の高弟・墨済によって作られました。

頭髪と髭をつけた跡が残っていて、一休の遺髪をつけたという風に伝わっています。

亡くなった方の遺髪を像につけるなんて、改めて考えてみるとすごい行いですよね。

それだけ一休さんは慕われていたということなのかもしれません。

 

酬恩庵庭園

酬恩庵といえば庭園は見逃せない見どころの一つです。

方丈を囲むように南・東・北の三つの庭から構成されていました。

3種類ものお庭を楽しめるなんて贅沢でうれしいです!

お庭は松花堂昭乗・佐川田喜六・石川丈山という江戸時代初期の三人の文人の合作といわれています。

 

南庭

一休寺のメインともいえるお寺ですね。

宗純王廟と虎丘庵を背景にしています。

サツキと大きな蘇鉄が目を引きました。

江戸時代の典型的な禅苑庭園で、白砂が敷かれているため落ち着いた雰囲気の中にも雅さを感じます。

シンプルすぎず、派手過ぎず、個人的にすごく大好きな庭園です!

「そうだ 京都、行こう。」2018年秋で取り上げられたように、紅葉の時期はまた格別の美しさとのこと。

次回はぜひ秋に訪れて、紅葉も楽しめたらな~と思いました。

 

東庭

ごめんなさい、写真を撮り忘れていました。

大小の石が置いてあり、十六羅漢の様子を表現している庭園でした。

どの庭園を見ても思うのですが、庭園においてやはり石というのは大切なキーワードですね!

大きさや材質によっても雰囲気は全然違いますし、他のものとの相性もよいです。

 

北庭

禅院枯山水としての蓬莱庭園で、東北の隅には2m程の巨大な石を「観音石」として置いてありました。

これに加え、他に集団の石組みをつくって枯滝落水の様子を表している庭園です。

言われてみれば滝がイメージできるすばらしい作りですね。

緑と石のバランスもよく、作庭家のセンスを感じます。

 

宗純王廟(一休の墓)

 

一休は1481年12月12日(文明13年11月21日)に88歳で亡くなりました。

これによって1475年(文明7年)、寿塔(生前に建てておく塔婆)を立てて、「慈楊塔」と名前がつけられました。

墓所は宮内庁が御陵墓として管理されています。

門の扉に菊の紋があるのはこのためか!と納得。

 

なんで宮内庁が管理しているの?

それは、一休が後小松天皇の息子だからです。

一休は1394年(応永元年)に後小松天皇と、宮仕えをしていた母との間に生まれました。

本当なら天皇の子供として世継ぎの地位にあるのですが、後小松天皇の寵愛を受けた母を妬む人たちにねたまれ、宮中を追い出されてしまうのです。

そのため一休は洛西にある嵯峨の民家で誕生しました。

一休は生まれたときからいろいろとあったことがわかりますね。

まさに波乱に満ちた人生だったのでしょう。

 

虎丘庵

「虎丘」という名前は、中国の禅僧・虎丘紹隆からつけられたものです。

1467年9月に応仁の乱の戦火から逃れるために東山から移築されました。

江戸初期に修復されていて、扁額の文字は一休が書いたものです。

茶室造りの建物で、檜皮葺の屋根になっています。

「虎丘庵」は珠光、柴屋軒宗長、金春禅竹など多くの文化人が訪れる「文化サロン」の役割を果たしていました。

また、虎丘庵にある庭園は室町時代の枯山水庭園で、村田珠光によって作庭されました。

 

東司(とうす)

東司はお寺のトイレのことです。

こちらも1650年(慶安3年)の方丈再建の時に新築されました。

残念ながら中に入ることができないので様子はわかりませんでした。

 

 

開山堂

大正時代に改築されてはいますが、様式は完全に昔のものを引き継いでいます。

なので、比較的新しい建物ですが歴史の重みも感じることができました。

堂内には妙勝寺を創建した僧侶・南浦紹明の木像が安置。

一休が荒廃していた妙勝寺を再建し、63歳の時に作られたものです。

 

宝物殿

一休の肖像画遺偈(ゆいげ)などの墨跡など、一休にちなんだ展示物を見ることができます。

いろいろな展示物があって、見ごたえがありましたよ!

 

少年時代の一休像

若かりし頃の一休がほうきで掃除をしている像です。

「現在の世の中の汚れ」をこのほうきで掃除して、明るい世の中になるようにという願いが込められているそうです。

思わず抱きしめてくなるかわいらしい像でした。

 

一休さんといえば…有名な橋

このはし、わたるべからず」と書いてあるので、私も真ん中を歩きました。

 

おすすめ!

せっかくなので、絵馬にお願い事を書いてみるのもおすすめです。

一休さんの顔の形をした絵馬や…

一休さんらしいイラストの絵馬がかけてありました。

私も一休さんの顔に願い事を書きました。

 

 

まとめ

酬恩庵は京都市内から少し離れているため、人も少なく落ち着いて拝観することができました。

ちょっと遠いかな?と行く前は思っていましたが、思っていたよりも市内から近く感じました。

人気があるのは紅葉の時期かもしれませんが、今回訪れた春も新緑が美しくすばらしかったです!

小さい頃アニメで見た「一休さん」とこのような場所で再会できたのも嬉しかったですね♪

 

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京都のナビゲーター

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日本史・京都を愛してやまない30代主婦。 年に数回は京都へ足を運んで情報収集しています。 京都の魅力をわかりやすくお話したいです。 少しでもあなたの京都旅行のお手伝いができますように。

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